刃物の裏面論争が勃発した話その2(完結)

前回までのあらすじ
灼熱の夏をまったりとやり過ごしていたある日の私に大工道具を買い取って欲しいと訪ねてきた隣村の引退大工の遠藤さん。
「そんな刃では削れないよ!」
と指差した先にあった鉋刃とは!・・・・・

そこにあった鉋刃は常三郎の裏出し不要鉋であった。
読んで字の如く裏出しは要らないのである。
なにせ日本の鉋、和鉋は手入れが大変である。
購入したままだとまず思い通りには使えない。
刃は裏出し作業を行って更に台の調整を行って初めて使えるのである(買ったばかりでも削れるが直ぐに削れなくなってそれをまた切れるようにしようとするとひどく苦労するという意味合いです)。
たった三行で書ける調整だが、実際にやってみると実に骨の折れる作業が続く。鋼と軟鉄の境目を入念に伸ばすようにアンビルの上で叩いて(その中にも冬は少し温めるとか、先を叩くと割れるとか、叩き出すというか伸ばすように?とか色々注意事項があって。それに専用の機械はとても高いのです)その後に砥石を何種類も使って仕上げ、砥石はもちろん完全平面、仕上げは天然砥石、更に台に入れたら台は完全平面では駄目で指定の部分に凹みを作る(しかも髪の毛一本分凹ますとかですよ。頭の中がテンパりまくりです)作業があって。
とにかく大変で、使い熟すまでが修行で数年を要するのである。
鉋一台を仕上げる初期投資も実に数万円以上は覚悟しなくてはいけないのだ。
更に台は減りやすく、せっかく叩いて作った裏はどんどん減るし、正直、本職ではない楽器製作者の私には本職和鉋は向いていないと感じていた。

そんなだから最適鉋J45


をこよなく愛用していたし、ゆくゆくは一度セッティングするとほぼ台直しが不要で裏出しも要らない(正確には裏も研がないと駄目だけど和鉋よりはずーーっと簡単なのです)洋鉋にシフトしていくつもりだった。

そんな中で出会ったのが常三郎の裏出し不要鉋だった。
洋鉋は利点も多いが重いし切れ味が日本鉋より数段落ちると言わざるを得ない、もし裏出し不要の和鉋が(替刃鉋以外で)あったら欲しいと考えていた矢先だったので飛びついた。
裏出し不要鉋は裏面をRにするという単純な事をしているだけなのに誰も実行していなかった。
実は50年前に開発されていたが当時は陽の目を見なかったらしく、(特許は別の方が持っているらしいとか諸説あるようです)裏出しができない職人=恥ずかしい事という固定概念でもあるのだろうか?でも、私は恥ずかしいと思われる相手もいない孤独な兼業製作者だから、濡れ手に粟で喜んで使ってみたのだった。
これが実に使いやすかった。
台直しの必要はあったが裏出しの心配がなくガンガン使えたし、楽器製作に必要なレベルの削りは難なくこなせる。
削ろう会で見るような透ける削り華は無理かもしれないが、嫌いになりかけていた和鉋を見直すには十分なポテンシャルだった。

そんな経緯があったものだから、遠藤さんのいかにも研ぎ方が駄目で切れない鉋だね、という発言にカチンときたのだった。

「この鉋は裏面がベタでも切れる鉋なんです」

「はぁ?ベタでも切れるって?そりゃ切れるじゃろうがワシの言ってる切れるってのは本来の切れ味じゃなかろうってことだよ」

「本来の切れ味なんですよ」

「ハハハ。まぁ、アンタ、ワシの鉋使ったら目から鱗が落ちるわい」

何たる上から目線、何たる傲慢な態度、遠藤さん、貴方は知らない事を知らないだけなのです。

私も大人げないというか頭に血が登りやすい性質というか、今考えるとなぜあんな事をしたのか思い出せないが、おもむろに常三郎鉋を右手に取って、台を左手に取って刃を入れて玄能でコツコツと刃頭を叩いて刃の出具合を確かめた。

遠藤さんは、お?おお?といった軽く驚いた顔をしてたように思う。

・・・ええい!ままよ!・・・

試し削り用に固定していた杉材にグイと手を掛けて、それ!と引いた。

シュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルと小気味良い音と共に削り華が鉋から飛び出した。

刹那!偶然にも窓からサーーーーッと風が吹き、削り華がフワリと舞い上がった。
遠藤さんが声をあげた!
うわっ?!え?ええ?ウワーッ!
正直、会心の削りだった。
ここまで薄くて長い削り華が出たのは初めてだった。
小学生の時ホームランを打って全く感触が無い時が一度だけあったがその時と同じような雲の上に乗っているような足の着かない気分になってボーッとしてしまった。

半ば怒りと見ていろという気持ちが織り混ざって、おそらく当分は再現できない集中力を発揮してしまったのだろう。

「どうですか?この鉋の本来の切れ味です」

おそらく声が震えていたと思う。

「あぁうん、良く削れるのう・・・」

「・・・・」

「新しく買う必要もなさそうじゃの。失礼しますわ」

遠藤さんを見送った後も虚ろな気分だった。
数分も過ごしたろうか、我に帰りもう一度常三郎鉋で杉材を削ってみた。
何度削っても先刻の見事な削り華は出なかった。

常三郎さんの魂でも宿ったのかな?
そう思うことにして、それからは和鉋の練習も少しずつ始めたのだった。

風の噂で、遠藤さんは玉鋼ならぬ玉遊び(パチンコ)で破滅して青息吐息との事。

遠藤さんのおかげであんな心地よい思いができたのだから鉋の一つでも買ってあげればよかったかな?少しだけ後悔したのだった。