刃物の裏面論争が勃発した話その1

日中は35度を超える勢いの日差し。本当は自給自足用畑の雑草を引き抜かなければいけないのだけど、何かと理由を付けては引きこもる始末。
暑いのだ。なにせ暑いのだ。

当時の私は普段は工場で仕事をして、休日はリペアや製作に勤しんでいた。

茅葺き屋根って夏は涼しいんじゃなかったっけ?
温暖化が進んだとされる今から数十年前はそれが当てはまったのかもしれないけど今ではすっかり迷信になってしまったようだ。

そんなだからここ数年の夏は、涼しくなる夜にゴソゴソ動き出す夜行性に進化していたのだった。

進化はそれだけではない。
工場仕事で疲れると楽器製作にも影響があるので極力ストレスフリー、パワーフリー(余分な力を使わないよう)に進化していった。

なかでも刃物は同サイズのモノを何個も買い集めてストックして、切れが止んだら交換して、切れが止んだら交換してを繰り返して、なるべく研ぎの作業は通常行わない。
月に一度、製作を休んで全ての刃物を研いでメンテナンスをする。
こうすることによって製作で溜まったストレスと工場仕事で溜まったストレスを同時に削減できるという算段だ。
砥石と刃物が擦れ合うシャリシャリという音に癒やされ、試し切りでチラシをスパリと切って満足しては癒やされるという訳だ。

その日はちょうど月に一度の刃物研ぎの日。
雨が降って涼しかったので昼間から刃物研ぎを開始して夕方に終え、一息ついた時に来客があった。

「川向で大工やってる遠藤て者だけどここってギター作ってる人の家?」
初めて見る人だ。
集落に住んで4年になるけれど山一つ川一本越えたら知らない人だらけだものな。
70歳くらいの人だろうか、田舎の人は身体が丈夫で背筋がシャンとしているし日焼けで真っ黒だから年齢が読めない。

「(面倒なのでだいたい)そうですよ」
と応えた。

「今度廃業することになってね。鉋とか引き取ってもらえないかなと思って」

うーむ。。。。
おそらく、不要になった鉋を買って欲しいという事なんだろうなぁ。
田舎では逞しい人間が生き残る。
これくらいのプッシュはよくあることなのだ。
それに、もしも全くの見ず知らずの人間に鉋をプレゼントする気であるならば最初に
「廃業していらない鉋を差し上げますので使ってくださいませませ」
的なニュアンスでアプローチしてくるものね。

「使わない鉋を買い取って欲しいということですか?」

「うん、気に入ったのがあれば買ってよ」

やはりそうか。
限界過疎地で年金生活は厳しく、何かと入用なのだという事は理解できる。
殆どが農家で自営扱いの国民年金だから年金額も少ないんだよな、けどね、私も負けじと貧乏人なのでホイホイと金は出さないよ。
でも、良い鉋があれば買いましょうかね。

「見ての通り道具はたくさんあるからこれ以上欲しいのがあるかな?今見れますか?」
一釘刺しておいた。

嬉々として車に戻って段ボール箱を持ってきた遠藤さん。
中を見るととりあえず外観が綺麗に手入れしてある鉋が20丁ほどあった。
際鉋、底取り鉋、面取り鉋、私はこういうのは殆ど使わない。
もし使うとしたら、平鉋の数丁かな…


古い鉋は手垢で飴色〜琥珀色〜黒と段階を踏んで汚れていくが、マメな職人は汚れたらペーパー掛けをして常に白樫の白を意識するようだ(私は飴色になることも許せないのでニスを塗布している)。
遠藤さんの鉋は全て綺麗な白だった。
いや、急いではいけない。
ここに持ち込むために綺麗に手入れしてきたのかもしれない。
肝心の刃はどうだろうか?
良さ気な50ミリ位の平鉋を手に取り許可をもらって刃を出してみた。
刃頭は少しヘタっていたのでこれ以上潰してはダメだと思い銅製のハンマーでコツコツ叩くと割とキツ目に仕込んである刃がスルリと抜けた。
ここが緩すぎると紙を貼り付けたり台を交換しなければならないので慎重にチェックしたが問題は無さそうだ。

刃の裏を見ると糸裏とは言えないベタ裏に近い状態だったが研ぎ直せばそこそこ使える感じはした。
(喉から手が出るほど欲しい鉋では無いなぁ)

ためらっている私に痺れを切らしたのか、遠藤さんが先手を打ってきた。
「良く研げているでしょう?裏もしっかりしてるでしょう?」
誇らしげな遠藤さんは饒舌になって作業台の上に置いてあるさっき研いだばかりの私の鉋をチラ見しながらこういった

「あんな裏の無い鉋じゃ味わえない切れ味だよ」

この一言が私のハートに火を付けてしまったのだった。

完結編