知人から手のひらサイズの小さな天然砥石をいただきました。
私は元々人造砥石をメインで使用していまして、今後はわかりませんが今のところはそのやり方は変わりません。
ところが人造砥石では反応が良くない刃物というのが必ずありまして、そういう時に必殺技的に天然砥石を使っていたのです。
天然砥石は千差万別といいますか個々で全く違う研ぎ感で、刃物によって合う合わないが激しく、悪くいうと不安定ですから、少しずつ買ったり貰ったりして小さなコッパ砥石と言われる天然砥石を一つまた一つと増やしていきまして、小刀に関しては最終的仕上げを天然砥石に頼る事が多くなってきているというのが現状です。
せっかく入手してもがっかりさせられる事も多く、でも、手持ちの小刀の中のたった一本が素晴らしい切れ味に仕上げられる事がわかったりするとそれはそれは飛び上がるほど嬉しくなるものです。
また、駄目と思っていたモノでも力加減や水分の具合、名倉砥石使用、砥石の目を変えてみたりして、その砥石固有の特性(クセ)を理解できた時の「してやったり」感はたまらないものがあります。
使って減っていくと良くなったり駄目になったりという事も普通にありますので本当に使いづらい時もあって、でもそこも魅力の一つです。
コッパ砥石とは木っ端微塵のコッパという意味なのでしょうか、採掘の時の破片や、製品を形取りした時に出る手のひらサイズから50×120ミリ前後の大きさの端材(正方形でない物、薄すぎる物、形が悪い物)の事を言うのですが、小さくても十分に研ぎ力がありますし、価格も手頃ですから小刀を持っている方、肥後守好きには重宝します。
この、価格が手頃というところが落とし穴で、低レートのギャンブルのように地獄の入り口になってしまう場合もありまして、コッパ砥石よりも更に一段上の数万~数十万円の天然砥石をいくつも購入するきっかけになる事もあるようです。
まあ、自分の収入の中で楽しむのなら何も問題はないのですが、天然砥石で破滅街道を進んだ人を二人目撃している私は、なるべくハマらぬようにコッパ砥石で満足するように努めています(誘惑に何度か負けていますけど)。
一人は愛媛の山中に砥石を採りに行くことにハマり過ぎて会社に出て来なくなった人です。
伊予砥の一種だと思うのですが、その人は採取した砥石を一切人に見せないので詳細不明で、しかも採取した砥石で刃物は研がず(減るのがもったいないからだそうです)、ただただコレクションしているという、常人には理解できない蒐集癖でして、岡山県から愛媛県まで週末ごとに車で通いつめて最後は現地泊を繰り返して帰宅しなくなったそうです。
妻子も居たのに、今、元気かな?あの人。。。
もう一人は、高級な天然砥石を買いすぎて破産した人です。
親の遺産(数百万と思われます)を注ぎ込み、手にいれた砥石を自慢して同僚の包丁などを預かって研いであげるのですが、刃物研ぎは下手くそというオチで、やがて嫌われて孤立していくのですが嫌われている理由が分からずに、そうか、もっと高い砥石で惹きつければいいんだ宜しく、更に高い砥石を購入してしまうという悪循環に陥ってしまい、やがて資金が尽きて買えなくなってどんどん孤立してしまい休みがちになり最後は退職してしまいました。
そもそも大きな会社でも砥石の自慢話を受け入れてくれる人がいったい何人いるのか?ということなんですが。。。麻痺してるんでしょうね。
愛知県で仕事をしていた時に知り合った方ですが、元気かなあの人。。。
マニア過ぎる人の描写は作家吉村昭先生の「羆(ヒグマ)」という本がとても面白かったです。
短編なのですが「蘭鋳(らんちゅう)」と「鳩」は特に面白かったです。
興味のある方は是非一度読んでみてください。(下の写真はただのスクリーンショットですリンクではありません)
どんな道でもそうだと思うのですが、やり過ぎは破滅を早めますのでほどほど楽しむのが良いですよね。
さて、今回戴いたコッパ砥石、少し使ってみましたがかなりいい感じでした。
硬めですが地金は程よく曇って鋼は鏡面に仕上がります。
(写真は芳忠の横手小刀)
小さいから平面も出しやすいしもっと小さいヤツはアウトドアに持って行くのもアリですね。
しばらく楽しめそうです。
(参考:左は五十嵐砥?上に乗っているのは名倉として使う伊予砥?右は彫刻刀用に買った謎のコッパです。安いから割れても平気)